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65年前の原爆投下時刻に合わせて記念式典が挙行された。 原爆投下の大統領の検討経緯や決断の憶測に講習会で語られた。 投下の決断になったものは、旧ソビエトに対する威嚇射撃の様である。 戦後の領土問題など有利に交渉したかったのでしょう。 原爆が完成するまで、日本が降伏に応じないよう、天皇制廃止を降伏条件にして降伏を延期目的で交渉。 その間に原爆完成の時間を稼ぐ。原爆投下後、降伏条件の天皇制擁護に応じた。降伏してから、原爆を使用できないからである。 日本が天皇制擁護の主張をしなかったら、原爆は不発に終わったかも。 その時点で旧ソビエトも5〜6年で原爆が出来るだろうという予見はあったようです。 起爆の前には利害を究極に考慮した交渉や駆け引きがあったのでしょう。 その前に反省しなくてはならないことは、日本から真珠湾で宣戦布告したことである。 軍部は沢山の戦費を使い勝戦に生き甲斐を感じていたでしょう。巨大戦艦などの兵器会社からは、沢山の贈り物を受けたでしょう。 桐の棺感覚の高級品箱に美女が詰められ中身も高級美女。 箱の中でお漏らししたら贈答価値が下がるから食べ物や水も飲ませていない。生物ですからなるべく早く開けてください、喉がカラカラになっているので、箱から出して抱いたらすぐ水をやって下さい。戦地で女子挺身隊の中から一番いいのを戦死したことにして棺に入れ閣下に献上します。と注意書きが。極秘で抱いて下さい。勝戦したら世界中の美女は閣下のものです。必ず勝戦するよう優秀な武器を製造致します。 桐の箱から出した美女に自分の大砲を撃ち込み、戦艦には巨額な巨大大砲の搭載を許可させたでしょう。外国では桐の箱ならぬじゅうたんに包まれて宮殿入りした美女がいたとか。 悲惨な戦争が語られる結論に、戦争ってなんだったんだろうとむなしさがこみ上げる。 原爆記念日にも、日本から開戦して悪かったと言う反省の言葉はありませんでした。これは、戦没した日本国民にも言えることでしょう。 一部の人の利権を抑制できなかった日本にも、反省の余地は十分にあり、それをうまく利用された駆け引きのうまさにも負けたようです。 終わりに被爆された方々の苦しみを計り知れない者が記述したことをお許し下さい。私も小さなやけどはしたことがありましたがとても痛かったです。それの何万倍も痛かったのではないでしょうか。
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